ミニ特集:太平洋戦争について語る本 その1


『日本人の戦争 作家の日記を読む』
『戦争 血と涙で綴った証言』
『土壇場における人間の研究 ニューギニア闇の戦跡』
『私が日本人になった理由 日本語に魅せられて』
『コミック昭和史 第2巻 満州事変〜日中全面戦争』
『ドナルド・キーン自伝』
『東部ニューギニア戦線 棄てられた部隊』
『コミック昭和史 第2巻 満州事変〜日中全面戦争』
水木しげる
歴史を動かすほどのものは人間の力では理解しにくい、ある不可解な力があるものらしい。それはその時そこに生きていて始めて感ぜられるといった種類のものです。

『ドナルド・キーン著作集 第10巻 自叙伝決定版』 ドナルド・キーン 新潮社
『ドナルド・キーン自伝』 ドナルド・キーン 中公文庫
アメリカ軍の兵士は、日記をつけることを禁じられていた。敵が日記を手に入れた時に、戦略的な情報を提供してしまう恐れがあったからである。
しかし日本の兵隊は、新年ごとに日記を支給され、日々の考えを書き留めることが務めとされていた。
彼らは上官が日記を検閲することを知っていた。それは日記に記された感想が十分に愛国的かどうか確かめるためだった。日本の人に「バンザイ・アタック」(玉砕)についての意見をうかがい、一つの教訓を私はこの晩学んだのだ。その教訓とは、「一国民全体を代表してものを言っていると公言する人物の意見を、決して鵜呑みにするな」
飛行機が日本の上空に近づいた時、第一印象は、この国はとても緑が多いなというものだった。
中国では、事実上、木は日本人が建てた神社の周囲に植樹されたものしかなかった。ところが日本では、山々は樹木で蔽われ、木のないところには丹念に耕された畑が広がっていた。
※中国では「自然のものを自然のまま尊ぶ/古いものを尊ぶ」という感覚は薄い。とにかくすべて、人工的に手を入れてこそ価値があると見做す。
景観は、天然林を忌避し、すべて手を入れつくされたものであるべきだとみなす。鉱石マニアも中国では原石よりは磨いたり加工したりしたものを喜ぶし、歴史のある観光地も改造しまくる。天然の自然は無価値であり、改造してはじめて価値が生まれると考える。
いきおい、チベットをはじめとする世界的な遺産群も、欧米とは異なる処遇でどえらいことになる。
『私が日本人になった理由 日本語に魅せられて』
100年インタビュー ドナルド・キーン PHP研究所
日記は日本人にとって非常に貴重なものだと悟りました。私は後年、日本には日記文学というジャンルさえあると気づきます。古くから『土佐日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』など、そして現在まで。
戦時中も毎年元旦にすべての兵士に日記帳が配られ、書くように奨励されたほどです。
全員に真新しい、何も書いていない日記帳が配られたのです。アメリカとは正反対でした。アメリカ軍は日記を書くことを厳重に禁じていました。戦前はアメリカに普及していたオモチャのほとんどが日本製でした。もっとも今と違って、日本製は安物の代名詞で、安価ではあるが、すぐ壊れる、という意味で使われていたのですが。
『源氏物語』は本来、文法を教えるために書かれたものではないのです。まずは現代語訳で読んでみると、なぜ外国でも『源氏物語』が愛読されているのか理解できる筈です。
文法の教科書になっていること自体が根本的な間違いで、まずは現代語訳から読み始めて、物語の美しさそのものを理解すればよいと私は思っています。


(好評につき、文庫版が出ています。)
『日本人の戦争 作家の日記を読む』 ドナルド・キーン 文藝春秋
日本人が東南アジアに作った政府は、よく「傀儡(かいらい)政権」と呼ばれた。これは各政府が無能な人物によって率いられ、その主な仕事は日本からの命令を実行に移すことにあるという意味だった。しかし、当の「傀儡」たちの名前を一瞥すれば、この命名がいかに見当違いなものであるかがわかる。日本が支援したビルマ、フィリピン、インドネシア各政府の首脳(それぞれバー・モウ、ホセ・ラウレル、スカルノ)は、いずれも傑出した人物で、日本の敗戦後も各国で高い地位を維持し続けた。
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『戦争 血と涙で綴った証言』
朝日ソノラマ
軍医の執刀で死体の腹から肝臓を摘出しました。取り出した肝臓はひそかに、熱病に伏す兵らの食事に供せられたといいます。病兵の一人は、あのころの肉入りを不思議に思いながら食べたそうです。
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『土壇場における人間の研究 ニューギニア闇の戦跡』
佐藤清彦 芙蓉書房出版
● 補給路を断たれ、何万人もの日本兵が玉砕の傍ら飢え死にし、殺しあい、人肉を食らいあった。
土壇場に追い込まれた人間は…。
尾川正二『東部ニューギニア戦線』と合わせ読むとさらに…
多くの者が担送中の米をくすねた。弾丸を運ぶ者は、そっと捨てたりもした。
小隊長がこれを止めた。「中隊長、砲兵の任務はすでに終りました。兵を死なせてはなりません」。そして、兵に向かって、「戦死者の手榴弾をはずして二発たばね、敵の戦車に肉薄攻撃せよ」と命じると、自分は座したままの姿勢でピストルを右こめかみに当て撃った。
フラッギングというのは、気に入らない上官を手榴弾で爆殺することである。
米軍にはしばしばあるらしく、ベトナム戦争時の一九六九年には九十六件、七〇年には二百九件もフラッギングがあり、それぞれ三十九、三十四人の犠牲者が出ているという(『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊』)。
尾川正二 潮書房光人社
米軍での同僚・上官殺しは主に手榴弾を使うのでフラッギングと呼ばれる。米国人でさえ殺すと決めたらお気に入りの一丁ではなくアクセスできる武器の中で時間当たり最大火力を注視し、襲われる側が武装しているかどうか関係ないんだよな。乱射犯もそう https://t.co/LaemEzEcBu
— 藁科 英司 (@hamanako) 2016年9月22日
ベトナム戦争でのフラッギング(故意の味方殺し)の概算
— ワニ革@アホカリ7/30(ベトコン) (@kesi0510) 2016年7月13日
海兵隊より陸軍の方が多く、70年代の撤退期にはかなり上がっている。オーストラリア軍でも同様にフラッギングは起きていたそう。https://t.co/hCltnItAKe pic.twitter.com/ywGLmF8ddL
@uchidahiroki 飢えと日本軍という話だと、"土壇場における人間の研究"が面白かったです 行軍から脱落した者達が小グループに分かれて食料のために味方を襲ったり、原住民を襲撃したり… 組織化されていない野党という表現がピッタリと合致します
— あーるら (@Alracys) 2013年1月31日